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日記。観たもの、聴いたもの、読んだものについて思い浮かんだこと。感想はネタバレを含んでます。

恋せぬふたり感想

 

2022年1月から3月にNHKで放送されたドラマ『恋せぬふたり』を観た感想。

 

www.nhk.jp

 

 

セクシャルマイノリティの話です。

※私はドラマのテーマになっているアロマンティックアセクシャル(細かい分類ではデミセクシャル)です。あくまで自分の感覚に基づいた感想です。

※2022.4.10 一部言葉を変更、用語などの参考元サイトのリンクを追加しました。

 

ドラマの感想について。

 

放送されるまでは、恋愛感情や性的な惹かれが他人に向かない、または感覚がほぼ無い人間の存在を映像化されることに喜びながらも、その人によってさらに違う感覚があることを30分×8話でどこまで描くのか、新たな偏見や差別につながらないか、とても不安だった。

 

このドラマを観た後の気持ちは、アロマンティックアセクシャル(Aro/Ace)という存在の説明と社会生活で起こる問題を描いた『第一歩』として、とても素晴らしい作品だと思った。ドラマの感想を記録して何になるのかと思うが、実際にここにもこんな人間がいることを残しておきたい。

 

Aro/Aceという言葉や同じ感覚を持つ人たちとの出会い。まわりと自分の感覚の違いに疑問を感じて自分が何なのかを調べ、知らなかった言葉に出会い自認する流れ。まるで自分がこれまで悩んできたこと、言われてきたこと、諦めと割り切りで生きる人間の表情などのほとんどを表現されていて、咲子は20代の頃、羽は30台後半から現在の自分を見ているようだった。

 

自認して同じ感覚の人に出会い、存在を認められた気分を得て世界が開けたように思っても、そこから進むとまた新しい問題にたくさんぶつかる。家族や気持ちを寄せてくれる人との付き合い方。3話から最終回までの社会の中で生きていく厳しさの描き方は、自分の現在の思い込みにさらに揺さぶりをかけてくれた。

 

しんどいなと思ったのは咲子の家族。義理の弟含めて"血縁、法的に認められた家族"だからなのか、遠慮なく何をしても、言ってもいい、こころの境界線が全く無いような言動がものすごくきつかった。もし自分があの家の一人なら、もっと早くに実家を離れると思う。話が進んでも、妹夫婦の離婚に発展しそうな問題に巻き込まれたり、最終回でも母親が娘にカミングアウトされても自分の願いは変わらないと咲子に言う場面は、これまで積み重ねられてきた人間関係の典型的な形は簡単に変えられない厳しさと、そんな中で多数の固定観念を持つ人たちとどうやって折り合いをつけて生きていくかの問題があることを表しているようで、見ながらきつかったけどとても良かったと思う。家族とは何なのかを考えさせられた。

 

 

8話の中で一番心に響いたのは、羽が過去に付き合った女性、遥と結婚の話になって、指輪をつけようとしてもつけられなかった高橋一生さんの表現。愛情を寄せてくれる人、祖母や遥の望みを叶えられない、どう頑張っても気持ちに応えられない悲しさや悔しさを身体全体と手の震え、絞り出すような謝罪の声で表現されたのが、自分がこれまで経験してきた苦しさを思い出して、言語化できない自分の感覚を可視化されたと思った初めての映像になったかもしれない。

 

咲子の親友、千鶴とのエピソードもつらかった。その人のことは大事に思って仲良くしていきたいのに、相手はその一歩先の関係を望んでいる。でも、どう気持ちを切り替えても、相手の望む通りには応えられない。"同性"との恋愛関係と友情の難しさを、短い枠の中で思い切って盛り込んできて、とても重かったがその回ラストの泣きながらカニを食べる感動的な場面につながってとても良かった。

 

 

登場したキャラクターでいてくれてよかったと思うのがカズくん。初めはものすごくうざいと思ってたけど、羽の世話をして、Aro/Aceの情報を集め、咲子と良い距離感でいてくれる変わりように驚いた。現実にあんな人いる???咲子と暮らし始めて表情が柔らかくなった羽が、カズくんが乗り込んできたことで、これまでと違うひょうきんさや会話の中で面白い返しが増えてきたのが面白かった。

 

あと、羽の家の内装の暖かさ、うどん、カニ、ピザ、小田原旅行、年越し蕎麦。厳しい人間関係の場面があっても、羽の家に戻ると映像全体から温もりが伝わって安心できるのも良かった。

 

 

羽と咲子の変化を見ながら、ひとりではできないことを二人や複数の人とで実現できる大切さを考え直してる。最終回で、咲子の強い気持ちと斬新な言葉で羽は""を離れて自分がやりたい道に進む決断をした。よほど信頼できる人じゃないと家を預けられないと思うが、咲子と本当に気持ちがつながることができたから、羽にとってそこがいつでも帰れる場所になれたんだと思う。誰かと暮らすのは自分にとってとてもハードルが高いけど、身体を傷つけてこない人で考えの違いでぶつかりながらでも前に進んでいける人となら、一緒に歩いていくのもいいのかもと思い始めてる。

 

 

最後の最後で咲子が自分の幸せは自分が決めると語った芯の強い心の声にとても励まされた。8話通して、まわりの人との相互理解の難しさと乗り越えようとする姿勢を描いてきたのに、最後に他人の意見よりも自分のことは自分で選択する決意は意外かもしれないが、たぶん、わたしの感覚では、多数の固定観念に疑問や違和感を持ちながらも、自分を大事にしてくれる人の気持ちに応えないといけない思い込み、自分もまわりも傷つけたくないとするあまり、自分がどうしたいか、何をしたら幸せに生きていけるのかを見失って悩んだり前に進めない人へのメッセージかと思った。

 

相互理解の為には、まず自分のベースになる強い気持ちが無いと流されてしまう。いろんな意見を見聞きするたび、まだとまどうことが多いけど、自分の感覚に名前がつくことで存在を認められる安心感は、生きていく上での大きな軸になっている。

 

ドラマの初回を見た時は共感の連続だったから、これまで出会った人たちから固定観念を押し付けられて傷ついてきたことばかりを思い出していたけど、実際には同時に自分に気持ちを寄せてくれた人たちを私はたくさん傷つけてきた。自分が何者かを理解することで、他の人との違いを認めてともに過ごしていけるようになりたいと、改めて思う。

 

知識が浅いので、見ている時はどうしても自分のことと重ねてしまい、詳しい方が指摘されたような厳しい視点に気が付かなかったが、今後またAro/Aceの話が作られるのなら、今回表現できなかった傷ついた人への専門的なケアなどの話も入れていってほしいと願います。

 

これまで情報を集めて発信し長年活動されてきた方々のおかげで、映像化につながったと思います。企画、制作に携わられたすべての方に感謝しています。ありがとうございました。

 

 

[恋せぬふたり] 第1~4回ダイジェスト!5分で追いつける | よるドラ | NHK - YouTube

 

 

自分がいつアロマンティックアセクシャルだと気づいたか。

 

明確に何年何月、何を見て、自分に該当するとわかったかは覚えていない。20代後半にとある出来事があって、まわりの人は生きていく上でパートナー探しが最重要課題みたいな感覚なのに、あまりにも自分の考えがかけ離れてすぎていると思い、ずっとネット掲示板のアダルトスレやセクシュアリティ関連のサイト、ブログを探っていた。恋せぬふたりの1話目で咲子が検索した様子は、自分の経験とほぼ同じ。

 

6~7年前、きっかけはたぶん、にじいろ学校さんのアカウントをTwitterで見つけて、アロマンティックアセクシャルの言葉に出会った。( @niji_koou )  用語解説や社会の中での問題など書かれているほとんどの文章が、自分が疑問に思っていることだったので、”これだ”、と、すぐに納得できた。

 

www.nijikou.com

 

 

最近、参考にしているサイトは、シネマンドレイクさん( @cinemandrake )が運営されている"AセクAロマ部"です。会話形式のデザインなど、とても読みやすくていつも読ませてもらってます。

 

acearobu.com

 

Ace/Aro, といっても、広義とは別に細かい感覚が解説されている用語のうち、自分にあてはまるのがどれかわからないと思い、anoneさんの診断サイトを見つけて試してたところ、今のところ自分はアロマンティックデミセクシャルなのかな、と思ってます。

 

anone,【公式】 on Twitter: "\リリースしました!/

https://t.co/fibSpS2yWPhttps://t.co/gM6HSsfNPi"

 

ここまで書いたことはあくまで私個人のこと。ほんの一例です。常々疑問にぶつかるので、まだこれからもいろんな情報を集めて、快適に過ごせるやり方を探していきます。

 

大きな疑問として考えているのが、お気に入りのアーティストさんたちを追う"推し活"ができること、身体のつながりと支配欲、といった自分の中でずっと調べてるテーマ。納得できるまで時間がかかりそうだけど、いつかどこかでまとめたい。