舞台ケンジトシの戯曲を読みました。
(早川書房 悲劇喜劇 2020年7月号)
2月7日開幕、2月28日までシアタートラムで公演中。3月3日から10日は大阪公演。2020年の公演延期からどうなるかと思いましたが、無事に開幕されて本当に良かったです。
2020年は先行でチケットが取れませんでしたが、ラッキーなことに今回はチケットが取れました。とても貴重な機会になるので、ちゃんと作品と向き合いたくて、先に戯曲を読むことにしました。
(いまスマホで書いてるから折りたたむやり方がわからないのです。改行連打ごめんなさい。)
北村想さん作
ン十年前に、演劇好きな知り合いが北村想さんの演目は深くて良いけどちょっと難しいよと教えてくれて、まだ何も見てなかった私の頭にすっかり難しい方というイメージがありました。そのせいか、生半可で見たくない気持ちか、まだ早いかなとかなんとなく気が引けてばかりで、話題になっていても見てませんでした。
ケンジトシを読んで、たくさん思ったことがありました。ストーリーに含まれるのはとても繊細なテーマだと思い、宮沢賢治さんについてや信仰のことなどを簡単に言葉にしたくない気持ちが強いので、私のひとりごととしてメモします。いろいろな経験が重なった今の年齢になって北村想さんの作品を見る機会が巡ってきたのは、なんとも不思議なタイミングだと思ってます。
トシさんの聡明さから、宮沢賢治さんとその作品や世界観が浮かび上がる描き方がとても面白いと思いました。
わからない
この感覚がとても大事で、これから先もいつも頭に置いておこうと思います。
個人的なこと。わたしにはわたしだけの信仰心はありますが、超個人的な理由から、どこかひとつの思想や宗派に基づいた団体に所属していません。ご先祖さまがお世話になっていたり、季節の区切り、悩んでる時、感謝したいことがある時など、神社やお寺へ参拝にはよく行きます。大きな地震を近くで経験したのに、それでもまだ自分の欲だけを考えて人生を自分で終わらせるやり方を調べていた20代の頃や、終わらせるのをやめたそのあともまだやっぱり生きるのがしんどくて、いろんな思想や仏教、信仰、哲学関係の本を読める範囲で探して少し読んでみたり、薬である程度抑えられてもたまに顔を出してしまう鬱症状を自分で治したくていろんな人に出会って聞いた話から、浅い知識の頭なりに、苦しくてもいまこの時代を生きること、に対して、なんとなく感じていることはあります。
つい最近、突然この世からいなくなった人への寂しさが心の中を大きく占めていて、その気持ちに突き刺さりすぎた言葉もありました。
登場人物名から、近代史で起こったことも描かれるのかとちょっと身構えていたけど、それはふんわりしていそうで、ガチガチにならなくて良いかも。ちょっと笑える会話もあって、安心しました。
でも、山崎一さんの表現には注目して観たいと思ってます。※もちろん中村倫也さんと黒木華さんは大注目しますよ。
この戯曲の言葉から心に入ってきたメッセージは、わたしの考えや感じていることにしっかりつながるものがありました。
言葉を読んで思ったことが、栗山民也さんの演出で、キャストさんの表現とビオラの演奏、振り付け、照明、観る日の会場の雰囲気からどう感じるか、とても楽しみです。まず、2月22日に昼と夜、どちらの公演も配信してくださるのが、本当にうれしい。すぐにアーカイブ配信までしてもらえるありがたさ‼︎
わからない
わからなかった
わからないからどうするか
知らない間にわかりやすいもので麻痺させられている感覚を見つめ直して、これから先に自分でどうすることもできない環境になるとしたら何をしていけばいいのか、とても大事なことを思い出せる演目になりそうだと思いました。
(…石原莞爾さんの経歴や、法華経、大乗仏教と小乗仏教の違い、など…
ウェブでサッ…と見ておくとセリフがわかりやすいかもです…)