ミュージカル「ルードヴィヒ~Beethoven The Piano~」
2022.11.19 昼、夜 大阪 シアタードラマシティにて観劇
11.13 東京千穐楽, 11.30 仙台大千穐楽 配信鑑賞
劇場ではオペラグラスを使わず全体を観て楽しむ私が個人的に思ったこと。
興奮と感動のあまり頭が真っ白になり、結局どう思ったか、感じたかのニュアンスでしかメモにできない。
それでも自分の感覚を少しでも保存するために書いておきたい感想。
ネタバレしてます。
マリーとか作曲家の先生とか幼年時代とかその他いろいろ、その3までに記録👇
📝 ミュージカル「ルードヴィヒ」雑感その3 - lensdiary
公式サイトよりストーリー引用
残り少ない人生を前に書かれたベートーベンの1通の手紙。そして、その手紙が一人の女性の元へ届く。聴力を失い絶望の中、青年ルードヴィヒが死と向き合っていたまさにその夜。吹きすさぶ嵐の音と共に見知らぬ女性マリーが幼い少年ウォルターを連れて現れる。
マリーは全てが終わったと思っていた彼に、また別の世界の扉を開けて去っていく。新しい世界で、新たな出会いに向き合おうとするルードヴィヒ。
しかしこの全ては、また新たな悲劇の始まりになるが…。
死期が近づくルードヴィヒがマリーに宛てた、自分の半生を書いた手紙。
客席から見ていた情景、中村倫也さんが泣き叫び、怒り、愛情と愛憎を表現した約2時間は、壮年ルードヴィヒ(福士誠治さん)が思い返す記憶の中の景色だった。
福士さんの印象を思い出すと、このステージの展開全てにつながる。
🌹ステージに登場するルードヴィヒ
幼年・・・高畑遼大さん, 大廣アンナさん(Wキャスト)
青年、中年、壮年・・・中村倫也さん
壮年・・・福士誠治さん
福士誠治さんは4役を演じられた。
壮年ルードヴィヒ
ルードヴィヒの父
ルードヴィヒの活動を支援する貴族
甥カール
語り手、もちろん歌も。
記憶の中の幼年(高畑遼大さん/大廣アンナさん)や、青年から中年(中村倫也さん)、それぞれの世代の自分自身と一緒に、伸びやかな歌声で、寄り添い、支えて、増幅し、リードする表現が本当に素晴らしかった。
歌声をしっかり聴いたのは初めて。私が観劇した日は少し掠れ気味でハスキーになっていたが、芯が安定していて透明感もあって、繊細なビブラートがかかると煌びやかな歌声で、同じく煌びやかで艶のある柔らかさとシャープさが同居する倫也さんの歌声と重なった時の、とても華やかで力強い音の厚み、迫力は聴き応えがあった。
ありすぎて、お二人で歌う曲が始まってメロディーが盛り上がるたびに頭が真っ白になりかけた。必死に意識をお二人の動きと歌詞に集中した。
キャラクターの切り替え、声の変化も素晴らしかった。貴族とカールはさすがに衣装やヘアメイクを少し変えて登場されたが、壮年ルードヴィヒから父への変化は、幼年ルードヴィヒの登場とセリフで誘導して、声音と仕草だけで自然にパっと切り替わり、それでも話が混乱することもなく、幼いルードヴィヒが父親にモーツアルトを超えろと言葉や力の暴力を振るわれながらピアノに向かっていたことがよくわかった。
話を登場シーンに戻す。
11月13日の東京千穐楽のライブ配信を観て、福士さんが客席通路を歩いてステージに上がることがわかった。
客降りといってしまっていいのかよくわからないけど、感染防止対策のためと思うが、”無言”で通路からステージへ向かわれる。
11月19日に客席から福士さんの登場シーンを見た印象
昼公演(座席:下手側後方)
マリーと作曲家の青年の会話に集中する雰囲気の中、重厚で、でも穏やかな雰囲気をした人影が視界の端でステージに向かって動いていた。上手側客席通路を歩く後ろ姿は、キャラクターの人生を纏って歩むというよりも、会ったことがないのに、なんとなく、歳を重ねたルードヴィヒだと思ったほど、一瞬で客席内とは明らかに違う、異質な雰囲気が伝わってきた。
夜公演(席⇒センター上手寄り一桁列):座席の斜め後ろから、たぶんランタン?がカタンカタンと鳴る音と少し重々しい足音が聞こえてきて、心の中で『ザワァッ…』とした感覚が走った。ちょうど真横を通られる時に福士さんを見てみた。いつもドラマで見る端正な横顔なのに、そこにいたのは福士誠治さんではなく、年齢をかなり重ねて、少しくたびれた雰囲気が漂うルードヴィヒが歩いていた。
キャストさんが客席通路を通ると、ステージと客席の間の目に見えない境界線がなくなって、より劇場全体がその作品の空間として一つになれる。いま上演されているいろんな作品を作るために、きっと観客にはわからない、演出にも感染防止の為の細かい条件が課されているのでは?と思う状況でも、やれることをどんどんやってくださるカンパニーの心意気が本当に嬉しい。
ステージに上がるまでの無言の威力は凄かった。
凄い、で表すのは単純すぎると思うが、これ以外に思いつかない。どんどんストーリーが動き始めていくのが伝わる。マリーが手紙を読む声と壮年ルードヴィヒの声が重なって、ルードヴィヒの語りに移り変わる瞬間は鳥肌が立った。
幼年時代を回想する語りと屋根裏で弾くピアノと音楽、身体がピアノとつながっているような楽しさを幼いルードヴィヒと一緒に歌う楽しそうな二人の姿にほっとした。(このステージで貴重なホッとできる場面)そのうち暴力的な父へ変わり、逆に幼年役の遼大さんやアンナさんが父親役、福士さんがルードヴィヒに変わったり、まばたきぐらいの速さで話が進む。
青年ルードヴィヒ登場。
幼いルードヴィヒはモーツアルトを超える音楽家になるよう父親に飼育されていた。苦しいピアノの練習の現実を暴く場面で、二階センターに中村倫也さん演じる青年ルードヴィヒが登場する。ここから、倫也さんの表現中心に話が進み、福士さんはルードヴィヒを支援する貴族、壮年ルードヴィヒ、甥カールと変化して、倫也さんのルードヴィヒを支えた。
青年から中年時代は回想の中だけど、それぞれの世代のキャラクターにとってはリアルタイムを表現している。福士さんは過去を思い出しながら当時の苦しみを反芻するように叫び、倫也さんは苦しみの真っただ中でもがき続けて泣き叫ぶ。見ていて面白いと思ったのは、倫也さんが『どうして‼ 俺が何をした!』など叫ぶと、少し遅れて福士さんも叫ぶのが、隣や真後ろに立っているのに時空間に距離があるように、ちゃんと違って見えて、不思議な空間が出来上がっていた。
ウォルターが死んだことをマリーから聞いた後、一人になって、再び強い孤独と絶望に陥った後、静寂の中から内に溢れる音楽を見つけた瞬間の、身体から音が飛び出す瞬間を二人で表現した場面が素晴らしかった。福士さんが見えない力で倫也さんの両腕を引っ張ように二人で腕を広げる場面、ゲネプロ映像やライブ配信で見ていたけど、実際に観たら、まるで本当に体内から音が飛び出るように見えて、とても面白かった。それでも、二人の間に世代の距離があって、一緒に歌ってるのに、一緒じゃないもどかしさがある。
倫也さんと福士さんが一緒に歌い始めると、隣り合っていても目線を合わせることがほぼなく、時空間の表現としては離れているのに、声が重なるとピッタリ一つの音になって、お二人の迫力が数倍になって会場中に響き渡った。私には歌声の倍音にほとんど差が無く一本の音に聴こえたけど、詳しい方にはどう聴こえたんでしょうか。
創作意欲が戻って、次々と交響曲が生まれていった時期の場面が、やっとお二人で目線を合わせて笑顔で歌って踊って、やっと気持ちが和らいだ。こんな楽しそうなお二人の歌と踊りをもっと見たい…。
最少人数の演目だから、他の作品のようなアンサンブルキャストがいないため、小物の移動、回収、撤去を、倫也さんと福士さんがお芝居の中でスマートに片付けていったのはお見事すぎた。
芝居
歌
振り付け
感情の振り幅
年齢の変化
着替え
舞台上の移動
ここまででも大変ですよ。
なのに、片付けも!
ルードヴィヒのピアノを乗せてる周りは回転するので、散らばった楽譜や放り投げたイスも次の展開を考えて、芝居しながら安全な場所にさりげなく移動させる。
倫也さん用、福士さん用に用意されたワイン瓶やグラスも間違えないように選んで使う。
貴族から受け取った銃が、場面ごとにお二人が芝居の中で収納場所を変えていく。(結局、最終はカールが使ってしまった…)
倫也さんが脱いだジャケットを福士さんがハンガーにかける。
大量に降り注がれた薔薇の花びらの上にピアノカバーをきれいにかぶせる。
他にもいっぱい細かいことされてたと思う。
映画で、この小物移動、撤去のお見事さがどこまで映されてるのか。
円盤には、この段取りの大変さの解説を特典映像か音声にして入れてほしいです。
甥カールとぶつかる場面が一番つらい。
ルードヴィヒは将来の希望としてカールに才能を託したかった。でも想いは強すぎて、愛情が執着となった。父親から暴力を受けて育ったのもあってか、カールが逃げようとすると同じように怒鳴りつけてピアノに精神的に縛りつけてしまう。マリーが、自分がやりたくてそうするならいいが、他人から押しつけられてやり続けるのは危険だと忠告したのが大正解だと思った。でもルードヴィヒにも心に余裕がなく、マリーの忠告も受け入れられなかった。カールは、ルードヴィヒと違って、音楽と身体は繋がってなかった。
カールとして愛について、絞りだすような苦しい声で歌われた曲から倫也さんと二人で掛け合いに繋げたのが、先に歌った時と立場が逆になり、カールが絶望の中、ルードヴィヒは愛憎、異様な執着心を表現されたのが印象的だった。
ルードヴィヒが父親から”飼育”された、聴力を失っても誰にも言えない、マリーが修道女になった、未亡人になったヨハンナの生き方、カールに音楽を強制してしまった、カールが音楽から逃げるために軍人を選び自殺しそうになった。すべての困難の背景にあるのは、この時代(フランス革命前後)に庶民が生きていく道は、ルードヴィヒのように男性で何か芸術などの才能に恵まれた人以外、ごくわずかな選択肢しかなく、それぞれの立場から生まれる苦しさがつきまとい、貴族社会から解放されたのに生きづらさは変わらなかった悔しさが、当時の人たちの心の底にあったんじゃないかと思った。ルードヴィヒ個人の苦しみと、当時の大衆の生きづらさの環境の中から生まれた歓喜の歌が持つ力強さと、どんな状況になっても勇気づけてくれるホスピタリティに改めて感動した。
死期が近づき、幼年・中年・壮年の3人で歌い上げるラストの曲が一番感動した。ハイトーンが難しそうだけど、苦しい人生を観てきたからこそ感じられる希望の光が込められていて、ずっと耳に残るとても素晴らしい曲だった。
舞台セットの2階欄干に張られた線の使い方も面白いと思った。
ルードヴィヒにとって五線譜は、まるで身体の一部、希望の光を感じられる線
マリーにとって設計図に描く線は、人々の夢につなげる線
カールにとって五線譜は檻のような苦しみしか感じられない線
二階に立つキャラクターの心情によって、こんなに意味が変わるのかと深く感動した。
日本版の楽曲どれかひとつだけでも、サブスク配信してほしい。
このカンパニーで別作品をまた観たい。
できればルードヴィヒを再演してほしいけど、それは非現実的ですね・・・
早く映画館で観たい!
福士さんの歌手としてのユニット、MISSIONではオレンジがお気に入りです。
感想書いてから聞こうと思っていた、福士さんのラジオ、ルードヴィヒ裏話をやっと聞ける!
スリルミー観たかったな…。また再演しないかな…。
倫也さんが晴香さんと歌ったアラジンのテーマソングを2022年もSpotifyで私が再生した何百曲のうち6番目に繰り返し聴いていたようです。
ちなみに菅田将暉さんと倫也さんが、コロナ禍で撮影などがストップした時に作って歌われたサンキュー神様は私が再生した曲のうち、今年2番目に多く聴いた曲だった。
倫也さんの全編途切れない熱量と表現力は無限大
福士さんの多彩な表現力
木下晴香さんの芯の強さ、伸びやかな歌声!
木暮真一郎さんの正確でいろんな表情が見えるピアノと誠実なシューベルト
高畑遼大さんと大廣アンナさんの天真爛漫なルードヴィヒ、ウォルターとカール
バイオリンとチェロ、それぞれ一本なのにステージ上では厚く情熱的だった音
照明、音響、舞台装置、すべてがひとつにまとまって、最小なのに圧倒的なステージでした。
いろんな音楽や歴史、社会とつなげて考えられて、本当に素晴らしく貴重な作品でした。
カンパニーの皆様、楽しい時間をありがとうございました。
本日、12月16日はルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンさまのお誕生日らしいです。
おめでとうございます!