lensdiary

日記。観たもの、聴いたもの、読んだものについて思い浮かんだこと。感想はネタバレを含んでます。

あなたの「自分軸」って何ですか?

お題「あなたの「自分軸」って何ですか?」

 

いろんなお題を眺めて、面白そうと目に留まったこのお題について書いてみたいと思います。

 

この数年で良く目にしたり、聞いたりする言葉ですね。軸の前に自分、または他人、とついているので、言葉の見た目からなんとなく自分自身、他人の考え、と捉えて使っていました。ですが、このお題のように、いざ何ですか?と問いかけられると、何だろうと考えが止まってしまいました。

 

そもそも、この言葉はいつ頃からどなたが使い始めたのか?

Copilotに聞いてみました。

自分軸と他人軸についての概念は、心理学や自己啓発の分野でしばしば議論されますが、これらの概念がいつから存在するかについては、特定の始まりの日付を指し示すものではありません。自分軸とは、個人の内面的な価値観や信念に基づいて行動や決断をすることを意味し、他人軸は他人の意見や社会的な期待に基づいて行動や決断をすることを指します。

心理学の観点から見ると、自分軸と他人軸の概念は、個人が自己認識を発達させる過程で形成されるものです。例えば、子供の頃は親や教師などの権威者に依存して生きるため、他人軸が強くなりがちですが、成長するにつれて自分の価値観や信念が確立され、自分軸で生きるようになる人もいます⁴。

自分軸で生きることは、自己肯定感や自立心を高めることに繋がり、ストレスの軽減や人生の満足度の向上に寄与するとされています。一方で、他人軸で生きることは、他人からの評価や承認を求める傾向が強くなり、自己否定や依存性を高める可能性があります。

自分軸を強化するためには、自分の本音を明確にし、目標を設定し、意思決定の機会を増やし、自分軸を定着させるための習慣を身につけることが推奨されています²。また、自分軸で生きることはわがままや自己中心的であると誤解されることがありますが、他人を尊重しながらも自分の意志を大切にするバランスが重要です³。

sl.bing.net

 

改めて解説を読むとますます興味がわいてくるテーマです。

 

では、私の自分軸は何でしょう?

上の回答からいえば、幼少期は大人や依存する人の価値観や信念に基づいて生きるため、大人の言うとおりに行動しがち、これはわかります。生まれてすぐは、まだ自分で寝がえりも立つことも、言葉を話すこともできません。その頃の記憶が無いので、親の記憶のとおりだとすると、私はあまり泣いたりしない子だったらしいです。

その代わり、大人が予想していない行動(歩けるようになった時に勝手に外へ出て行こうとしたり、押し入れの上段へよじ登って落ちたり、部屋の壁にクレヨンで絵を描いたり)をたびたびしていたため、しょっちゅう怒られ、真っ暗な押し入れや隣の部屋に閉じ込められたそうです。何歳の頃の記憶かはっきりわかりませんが、なんとなく、真っ暗な部屋で一人でぬいぐるみ相手に泣きもせず黙って遊んでいた記憶はあります。

 

確かに大声で泣き叫んだ記憶が無い…。嫌な気持ちになった時、泣くよりも私は漫画やアニメの世界を空想していたように思います。

その態度は大人から見ればかなり気持ち悪かったらしく、ごく”普通”の子供として扱いたいのに思うようにならない子供だったので、怒られて、私の言動は間違いだと言われてました。

大きくなるにつれ、怒られて否定されることがとても窮屈で、でも自立できる年齢でもなく、怒られないように大人がこうあってほしいと言う言動をして”仮の姿”を身に着けていくようになりました。表面上は、すっかり他人軸です。

 

でも、その”仮”の私はとても窮屈な気持ちでいっぱいになって苦しかったです。私は、家や自分がいる環境の外の世界に興味がありました。これが自分軸の根っこかもしれないです。

私はどんどん、漫画、小説、音楽に没頭するようになりました。創作の世界には、私が知らないことや、憧れるキャラクター、生き方に出会うことができました。

 

ただ、思春期を迎えて周りの人たちが恋愛を優先し始めた頃に自分の興味の対象とかなりずれているな、と違和感を感じ始めました。さらに、ヘアスタイル、ファッション、メイクなど、自分の好み、やりたいスタイルではなく、男の子が気に入るスタイルを重視する人の気持ちもよくわかりませんでした。10代後半から20代を過ぎて、恋愛を最優先に考える人とのズレと、あくまで”普通”を装っている”仮の自分”のギャップがとても苦しくなりました。

 

正直、やりたいことだけ早くやりきって、早く人生を終わらせたいと、ずっとそんなことを考えてました。

 

仕事は会社員ですが、それはあくまで生活費のため、と、割り切って過ごしてます。

自分の時間に戻ると、音楽や映画などを通じて、私の考えはとても狭い範囲を見て思い込んでいたことだと気がつくことが増えてきました。たった数百キロの世界で、人生を終わらせるのはもったいない。そう思っていろいろ調べているうちに、私と似たズレから抱える苦しみや悩みを抱えている人がいて、海外では言語化、分類化されていると日本で紹介されている人たちがいたことを知ることができました。

いろんな世界に出会えたのは、個人でインターネットを使えるようになったのがとても大きいです。ウェブに感謝。アラン・チューリングさんに感謝。

 

ここまで書いてみて、私の自分軸は、自分が知らない環境への興味と知るために行動すること、だと思います。

今は、見聞きしたこと、知ったこと、思い浮かんだことを言葉に書き残していることも自分の根っこの分身みたいになっています。またこれから日々過ごして誰かに出会うたびに、自分が居心地が良いと思う軸は変化するかもしれません。

 

聞いてきた音楽の中で、はっきりと自分は自分であると思わせてくれるきっかけになったのは、90年代後半に聞いたUKのOASIS『SUPERSONIC』冒頭の歌詞。

 

I need to be myself.

I can't be no one else.

 

俺は俺でなきゃいけない。

他の誰かになれやしないんだから。

 

youtu.be

 

パンチをくらった気分になりました。

周りの人、会社では、社会では、この年齢では、いろんな”見えない他人”の暗黙のルールを気にしすぎているくせに、限られた世界の中に縛られたくない。きっと、甘い考え、わがままなんだろうな、こんなんだから怒られてばかりなんだろうな、と、自己否定ばかりして落ち込んでいた頃に、この歌詞を聞いて目が覚めました。

この時に、私の中で周りの人が思ってるルールは100%正解ではないのかもと気がついて、思い込みをやめてみようと考え始めたことを思い出しました。

 

今回のお題から、まだ自分軸や他人軸という言葉に出会ってなかった1998年頃から、人と自分の感覚の違いを認識して模索しはじめた、という結果に繋がり、今まで改めて考えることが無かったので、とても良い記憶の旅ができました。