『窓辺にて』を観て思ったこと。
ネタバレしてます。
今泉力哉監督
主演 稲垣吾郎さん
妻が浮気をしていることに気がついたがショックを受けない自分にショックを受けて悩む男の話。
会話が面白く、でも説明しすぎない、読書で例えると行間を読むように、描かれていないことを想像するのが楽しくなる映画でした。トータル143分らしいですが、私は全然長さが気にならず、逆にもっと見ていたい気分でした。
去年、2022年11月12日 シネリーブル梅田にて鑑賞。
かなり時間が経つので、特に印象に残っていることのメモ。
この映画で大満足になり、FilmarksとTwitterで直感の感想というか日頃の鬱憤ばらしのような雄叫びを書いて、それでスッキリしてました。先日、映画『そばかす』を観て思ったことを考えているうちに、やっぱり窓辺にてで思ったことをもう一度まとめておきたくなり、書き出すことにしました。
私はほとんどの人が持つ恋愛感覚がわからないんですが、なぜか今泉監督の恋愛を描く作品からは居心地の悪さを感じたことが無く、恋愛関係や人間関係の複雑さ、会話が見ていて面白いと思えるぐらい、好きな監督の中のお一人です。稲垣吾郎さんもSMAP時代から表現や雰囲気が好きな方。
時期的に中村倫也さんが出演されていたミュージカル「ルードヴィヒ」真っ只中で脳内は絶賛ベートーヴェン祭で気持ちに余裕がなく、さらに11月4日から11日は話題の映画がいっぱい公開されて、限られた時間でどれを観るか選ぶのに悩むぐらい。東京国際映画祭やいろんな方が話題にされていたこと、ある感情が起こらないことに悩む人の話と知り、自分のライフワーク的に気になることなので行けるうちにスクリーンで見たい!と、必然的に窓辺にては観に行く作品と決めてました。
(個人的に面白い偶然なのが、稲垣吾郎さんもベートーヴェンを何度も演じられてました。中島かずきさん脚本の演目で好きなんですが、再々上演がちょうどコロナ禍1年目だったのが残念。いつかまたお目にかかりたいと願ってます。)
映画の冒頭、吾郎さん演じる市川茂巳がクラシカルな喫茶店の窓際の席に座る様子を見て、光の映し方と音の入り方の柔らかさからとても安心し、直感でこの映画が好きだと思いました。
観た後すぐにFilmarksにいろいろ書き出してみたんですが、
窓辺にてのれんのネタバレレビュー・ 内容・結末 | Filmarks映画
いま読み返すと、日頃わたしが思っている鬱憤をぶちまけているだけのような感想で、ちょっと反省。
他の方のレビューを見たり、ポッドキャストなどで語られている感想を聞いていて、よく言われているのが”感情が欠落している、感情・愛情が薄い、人に興味が無い”。
観たままから確かに、
妻の浮気を知っているのに怒ったりとまどったりしてない
自分にショックを受けたとはいえ、その様子が表に出ない
感情表現の起伏があまり無く、淡々と人の話を聞き、悩んでいる割に飄々と過ごす雰囲気。
だから、”感情表現、愛情が薄い、人に興味が無い”と思ってしまうのか。
私はこのような言われ方にいつも戸惑ってしまいます。
浮気をしている妻 紗衣のシャツのボタンを付けたり、ひとりで義母を訪ねて写真を撮るなど、その行動は大切に思う相手への思いやりから起こるもので人に興味が無いとは思えない…。描かれていないので結婚してから映画の中の日常までどんな過ごし方だったかわからないが、紗衣が茂巳にしてほしかった表現や行為ではなかったのかもしれないけど、紗衣への愛情はあるように見えました。愛情があるから、浮気をしたと知っても怒りより先に、紗衣が幸せになるためにどの選択がいいかを考えてしまったのかも。
留亜や、彼女を通じて知り合った人、友人のアスリート夫婦へ相談、会話をしていくうちに、別れに向けて心が静かに決まっていく時間の流れも妙に暖かくて、でも茂巳が紗衣へ、浮気に気づいていたことを自然に会話している時に突然スッと切り出す言い方が緩やかな時間をヒヤッと止めて、記憶に残しておきたい別れの瞬間でした。
私は、茂巳はとても愛情深い人だと思います。
留亜の叔父さんに言われたとおり、俯瞰しすぎて、人によっては見下してると言われてしまうのも仕方がないのでしょうか。
作品中に登場するキャラクターの中には、立場と建て前で言うことと場所が変わってやってることに矛盾しまくってる人たちも出てきました。でも、それぞれに心にズキズキ感じるような痛みを抱えてるのに、その立場や世間一般の常識としてふるまう姿がものすごく必死で、必死に日々過ごしてる様子に見えて、また人によっては真っ直ぐすぎて、いろんな意味で出てきた人全員愛おしいと思って見ました。
見ていて一番行動に共感できたのは、パチンコ屋で茂巳の隣に座った女性。
驚いたセリフは、留亜の彼氏が、浮気した妻に起こらない人間をサイコパスだ、SFみたいだと言ったこと。でも、あの彼氏くんならその反応も許せる笑
恋愛を描いた作品なのに、どうして安心できて大満足になったのか。
たぶんタイトルになってる窓辺とその窓から入る光の暖かさが、ひとりでも安心して過ごせるシェルターのように見えたからだと、今になって思うようになりました。窓ガラスで立場や建前、常識とされる考え方、むき出しの感情を防いで、自分だけの空間みたいに見えたこと。その中に、考え方は違っても程よい距離感で会話できる人たちも入った風景(茂巳と留亜、留亜の彼氏くん)が、とても心地よかったからだと思います。
窓辺(シェルターの中)でいろんな味が重なったパフェを噛みしめ飲み込んで、窓の外へ出た時に、別れたり手放して傷を負いながら前に向かって進める日々は美しいものなんだなと、妙に清々しい気持ちになれた映画でした。