lensdiary

日記。観たもの、聴いたもの、読んだものについて思い浮かんだこと。感想はネタバレを含んでます。

日常0502

2024.5.2 木曜日

 

ページ上部は今日の過ごし方。後半、下の方に悩みと考えを少々。

 

 

今日も引き続き休日。親の経過は良好、やっと気分が落ち着いた。天気も良し。

昨日までのやる気無しモードは何だったのか、と自分で思うほど、今日は朝から動けた。もし昨日が出勤日だったら、誰も話しかけるなオーラを出してひたすら入力し続けていたんじゃないか。休日で助かった。

 

わたしは休日だけど、世間は動いてる。なので、好きな人たちのお知らせがどんどん流れてきて、バサラオ先行、ミッシング公開記念舞台挨拶など申し込むものがあり、午後から仕事とはちょっと意味が違う希望を込めた入力作業や旅の企画のために調べものをしていると、夕方になっていた。見る対象が違っているだけで、頭と指の使い方は似たようなものなのに、どうしてこうも仕事と気分が違うのか笑

あれとアレの希望のいずれかが叶って、劇場で観ます(仮)

 

メールチェックをすると、OTODAMA24のチケットまだ買えますメールが届いてた。ちょっと迷う。でもあの会場は、私の体調にとってかなり過酷。以前、体力ありまくりの人たちと行った時に、その人たちも具合が悪くなった。見晴らしが良すぎる場所での長時間は厳しい。調子に乗って参加して倒れていろんな人に助けてもらって辿り着いた救護テントでお世話になりながら私何しにきたんやろ…と白い幕の天井を見つめてる自分が簡単に想像できる。…おとなしく家にいます。

 

中村倫也さん出演情報がばんばん流れてきている毎日。

明日と明後日はNHKに集中。

明日はザ・バックヤード特集とLIFE!春。

5月4日は”君の声が聞きたい”関連番組にいろいろ出られる?土スタ、夕方の生出演とNHKプロジェクトは録画できるとして、ラジオがよくわからない。らじるらじるで配信してくれるのかな???企画のポータルサイトを見ていると、4日に集中しているのか。

 

倫也さんが出られる番組や紹介番組で、ちょっと気になることが…。好きで応援してる人が関わるコンテンツに自分の悩みに関係するテーマが登場して、プロジェクトのメインテーマが若い人たちの意見を聞くことだから、いろんな人の話を聞いて、何を考えるのかを気にすればいいのだけど、私に似た感覚の若い人たちが日々感じてるつらさや悩みをXで見てるから、放送された内容にモヤモヤしたり、内容に対してキツイpostを見てしまった時に耐えられるかが気になってかなりうろたえてる。

ただただ静かに見ようとは思ってる。

 

 

===ここから下はセクシャルマイノリティに関する私の考えです。読んでも大丈夫な方はお進み下さい。苦手な方、冷やかし、イジリ目的の方はここまででクローズをお願いします===

 

 

 

 

 

 

 

 

君の声が聞こえるプロジェクトで、TRP、東京レインボープライドで取材された様子を放送する番組もあるらしい。毎年、賛否意見の対立を眺めて疲弊してる私は放送後に何が流れてきても静かに眺めるつもりではいる。SNSで考えを書くのは、関係ない人たちによっておもしろがって引用されるのが腹立たしくて、近い感覚の人と穏やかに交流するためだけに限定している。

否定の意見が出ることに反対ではなく、いろんな人が参加する前提でのイベントだからいろんなことが起こるとは思ってるけど、対立をあおりたいだけの人に疲れてる。

みんな”一緒に”ではなく、それぞれの個性がフラットにいることを認め合いたい。

どうしても混ざるのは難しいから、個々を大切にして住み分けて、穏やかに過ごさせてほしい。

自分だけが周りと違う感覚、感じ方、生き方をしていて、どこかおかしいのかな、病気かな、とふさぎ込んでしまう孤立化を防ぐために、似た感覚の人は世界のどこかにいると気づける、つながれる場所であってほしいので、イベントやパレードが盛り上がるのは重要だと考えてる。

参加の仕方、発言に気をつけて、知らないことは知らないと認めて違う感覚の人を受け入れる。なかなか現地に行けてないけど、いろんな啓蒙期間中は特にこの姿勢でいようと決めている。

 

大多数の人にしてみれば、番組を見て初めて聞く言葉や考え方、生き方を見て、そんな人もいるとだけ知ってくれる人もいれば、最近そうなった人たち、のようにとらえる流れもあり、そうじゃないんだけど…と、もやもやする。ドラマ恋せぬふたりが放送された後、実際、ドラマを見た私の身近な人たちに本当にいるのかなあ、本当にいたとしても、そう思い込んでるだけじゃないかな、と話されて、返答につまってしまった。

確かに一度自分のセクシャリティはこれだとわかって心の靄が晴れても、生きてるうちにいろんな人たちと出会って揺らぐこともある。私もその都度揺らいでる。

ひとつの分類名の中にも、細かく分かれていることまで紹介するコンテンツは少ない。だからといって、自認した名前ではなく100%ほとんどの人と同じ感覚だったのかと改めて考えみても、気持ちのどこかで何か違うと思う部分が多い。頭で考えて、白か黒かのどちらか一方です、と簡単に言葉で説明できる感覚ではない。同じ名前のセクシャリティを自認している人どおしでも、微妙に一人ずつ感じ方、考え方は違う。

 

セクシャリティジェンダーなど繊細な特性を紹介する時は、名前ごとに人を分類する説明ではなく、そのような感覚の人たちが昔から社会の中に当たり前にいる、と紹介してほしい。

理想は理想で、叶うことが難しいことだけど。

広く紹介されても、生理的に受け付けないとか、宗教上絶対認めない人たちにしてみれば、言葉や態度、力で攻撃するか、強制するか、または、命自体を無いものにしてしまう(海外でレインボーフラッグを掲げている人が襲撃されたり、極刑を受けている)。

 

堂々と個性を個性のまま表現して生きることは、冗談ではなく、命がけ。

 

日頃そんなハードな状況を目にしていると、真剣に作られるコンテンツに対しても、先に身構えて考えてしまう自分自身に嫌気がさす。理解して支援する人(Ally, アライ)と、穏やかに真摯に協力していきたいだけなのに。

 

私ひとりが隠れて静かに生きていればいいことではなく、悩んでる人が気づくきっかけは絶対に必要で、そのために私がどのように動けばいいのか、その匙加減はとても難しい。何かしたいと思うのは、今まで自分のことだけ考えて何も調べないで生きてきたことへの自戒が大きい。

何千年たっても相容れられないテーマだと自覚はしてるので、立ち止まらないように

、情報を調べて落ち着いて発信していきたい。