気分一新、元気を取り戻すために、ちょっと溜まってることをブツブツ。
めちゃくちゃ寒くなってから、調子が良くない。
新譜やライブ、フェス、演劇、映画のお知らせでテンションが上がるものの、落ち着いた途端に動けなくなる。仕事と家の事は生きるための最低限やらないといけないことだからか、身体が動いてしまう不思議。
7日から、中村倫也さんと黒木華さん、SISカンパニーの舞台ケンジトシが始まるので、Webや雑誌のインタビュー、稽古動画を見てテンションをどうにか保ってる。私が自分の悩みで若い時からずっと調べてきたこと(信仰(※))につながる?な内容ぽくて、大正から昭和の始めに生きた人たちをどんな表現にされるのか、とても楽しみになってきた。
身体のしんどさは、とりあえず寝て体力回復するしかない。
そんなグズグズの時に
立春で気分一層って時に
ある人たちを気持ち悪いと、結構な権限に近い方が発言したニュースを読んでしまい、去年からこの手のニュースを読む気構えがある程度できていたけど、それでも夜中に静かにブチ切れて、一気に体力気力使ってしまった。
怒る人もいるけど、私は、気持ち悪いと思うのはその人の考えだから仕方がないことで、そう思ってしまうことはあまり何にも思わない。でも、特に中央にいる人が、オフとはいえ、思ってることをよく考えもしないで平気で発言するのは絶対許さない。その言葉は人の命に係わるぐらいひどいこと。
ああ、もう、こんなグズグズ文の中で書くのはどうかと思うけど、こんな時どうしても、映画『影裏』の綾野さん、松田さん、倫也さんのキャラクターを思い出してしまう。私のセクシュアリティやジェンダー感とは違っても、映し出された佇まいは、私が普段蓋をしている不安感や恐怖心に響いて泣く場面じゃないのにどうしてかずっと涙が止まらない作品だった。簡単に言葉にまとめたくなくて、どこにも感想は書いてない。
この映画で3人が表現されたように、3通りの感覚が存在する。
それぞれの人生がある。生きてるから、生きていくための権利がある。マイノリティと一言でまとめて理解した気になったり、理解したフリとかできるものではない。似てると思っても、同じではない。わからないことがほとんど。でも、隣に、目の前にいる。今までも、これからも。
わからないまま、人がそのままで過ごせるように。
私は私ができる範囲で考えて行動していく。
※悩んでたといっても私はどこかの団体に入ってません。自分の頭で考えたい。いろいろ経験して、今は悩んだ時間も必要だったと飲み込めた。好きな面白い人たちを追いかける毎日が楽しくて、それだけで充分幸せ。